図解 巫女

図解 巫女 (F-Files No.028)

図解 巫女 (F-Files No.028)

図解 巫女 朱鷺田祐介(ときた ゆうすけ) 新紀元社

神道について勉強中のため備忘録代わりにこの記事を書いたのでかなり長めになっています

内容を紹介していきます

狭い意味では、巫女はまず、神道の神社に奉職する女性祭祀補助者を指し、いわゆる白い衣に緋袴(ひのはかま)を着けた姿で世に知られている。これを神社巫女と呼ぶ。 神社巫女はかつて、古代神道祭祀で重要な位置を担っていたが、男権社会の確立が進み、仏教との習合の中で神道祭祀の中心を男性の神官に奪われていった。現在は、男女平等の考えから、男女ともに神職への道を開かれているが、いまだ神職は男性社会である。そのため、巫女は神職から分離された祭祀の補助者のうち、女性を指す言葉となっている。

柳田國男の「巫女考(みここう)」によれば巫女は、神社に奉仕する神社巫女、憑依(ひょうい)による口寄せをする口寄せ巫女に分かれ、後者はさらに、憑依巫女と神姥(かみうば)に分かれる

巫女は神子(みこ)とも書く。神の子ではなく、神に仕える子であり、神の妻である。古代の日本では、皇族の未婚の娘が斎王(さいおう)として神に仕えた。この場合、斎王は生涯、精進潔斎(しょうじんけっさい)して、結婚することは出来なかった。

神社を包括管理している神社本庁の規則では、神道の儀式を行うには神職の免許が必要になるが、巫女の多くは神職の資格を持っていない。 現代の神社巫女には2つのタイプがいる。第1が祭祀(さいし)(神霊を祭る儀式)で神職のお手伝いをする、祭祀補助者の女性。こちらがこの本でメインに扱う巫女で、神社の雑務を担当している。 第2が女性の神職で、彼女達は神官(男性の神職)と同じく特定の養成所に通い、神社庁(都道府県に置かれる神社本庁の下部組織)の認可した資格を保有した宗教資格者である。

巫女が祭祀や舞踊を行う際、手に持つ道具を採り物(とりもの)という。

幣(みてぐら。へい、ぬさ、あるいは紙垂(しで)ともいわれる)紙を菱形に切ったものを棒や笹の先端につけたもの。神の依代(よりしろ)として、、多くの神社でお祓いの際に用いられ、風の祓を意味する。神楽においては、大きさの異なる幣が、神威の象徴として用いられる

神社巫女の仕事は祭祀の補助であるが、正確にいえば、神職か行う祭祀以外の全部といってもいい。神事や祭礼の準備や後片付け、お守りや絵馬の授与、製作、神社の掃除、関係者との連絡、事務全般が含まれる。

祭殿を開くにあたり、扉を開ける場合には必ず、左から。神道では左は差し手といい、高貴な方向とされる。

パーツで納品される場合、お祓いされた御神体(神名を書いた木札や御朱印を押した紙札)をお守り袋に入れる作業は、それぞれの神社で巫女や出仕が手で行う 御神体が入っていることから、お守りは物体ではなく、神様である。そのため、お守りは一個、二個ではなく、一体、二体と数える

巫女のイメージの中には祭祀において舞う姿があるが、こうした舞手は舞姫(まいひめ)、舞人(まいびと)、あるいは、古い言い方で八乙女(やおとめ)などといわれる。現在の神社巫女は祭祀補助者であり、舞姫とはイコールではない。巫女舞をしない神社もあれば、代々舞を継承する社家(しゃけ)もある 巫女が舞う舞は大きく分けて、神楽(かぐら)と舞楽(ぶがく)がある。 一般に神道の舞が神楽で、神楽の中には男舞もあれば、巫女舞もある。また、神楽は地方によって大きく異なり、能狂言の影響を受け面を着けて舞う場合もあれば、面を着けない素面(すめん)の舞もある。いわゆる巫女神楽の多くは素面の舞である。 神楽はその内容によってさらに2つタイプに分かれる。ひとつは、神道の神事が神楽になったもので、「四方拝(しほうはい)」や「剣の舞(つるぎのまい)」、「湯立神楽(ゆだてかぐら)(花湯)」などがこれにあたる。巫女神楽はこのような神事由来のものが多い。 もうひとつが里神楽で、この多くは天岩戸(あまのいわと)などの神話や歴史に題材を取った黙劇(もくげき)であり、仮面をつけるため能狂言に近く、女役であっても仮面を着けた男の舞手が舞うことか多い。神納(しんのう)ともいう。 舞楽は中世以前に大陸から伝わった、雅楽に伴う舞楽

祭祀舞は、宮中雅楽の下で作られた奉納舞で、神社本庁が制定、各神社に推奨する神道儀礼の舞であり。

神楽は宮中で行われる御神楽(みかぐら)(宮廷神楽)と、一般地域で行われる里神楽(太々神楽(だいだいかぐら))に分かれる。御神楽は伝統的な雅楽舞である。

巫女の意味を知るためには、日本神道の系譜と歴史を知らなければならない。それは日本の歴史そのものである。

神道とは、日本の伝統的な民俗宗教の総称である。 もともとは、日本各地にいる多数の神々を様々な形で信仰していたアニミズム(精霊信仰)や、祖先への信仰(祖霊信仰)である。自然現象や地形、祖霊、動物、植物、時や川の流れやそこに浮かぶ泡まで、ありとあらゆる概念を神として祭ってきた。ゆえに、神道には多数の神がおり、八百万(やおよろず)の神と呼ばれる。その信仰にはしばしば畏(おそ)れが含まれており、神道の中心的な概念として、力があり恐ろしい神=荒御魂(あらみたま)を、人を守る優しい力=和御魂(にぎみたま)へと変換させる祭りの形式があった。この過程で「清め」と「祓(はら)え」が行われ、しばしば降神の儀式(=シャーマニズム)が用いられた。 やがて、大和朝廷の確立に伴い、天皇家の守護神、アマテラスを頂点とする国家神道へと統合されていった。

鳥居は神域への入り口で、神の世界と人の世界を区切る境の門である。神社の境内とはすなわち、結界である。そのため、社格の高い神社や神格の高い御祭神(ごさいじん)の場合、鳥居はひとつではなく、複数設けられることもある。

神社の信徒は3つに分かれる。一般の参拝者、近隣の氏子、遠隔地在住信徒である崇敬会(すうけいかい)である

鳥居には大別すると「神明鳥居(しんめいとりい)」と「明神鳥居(みょうじんとりい)」の2つに分類される。

神社本庁は、終戦後に国家体制と神道の分離に伴って誕生した。日本に進駐してきた連合国軍総司令部が、神社の国家からの分離を命じた際、皇典講究所(こうてんこうきゅうじょ)・大日本神祇会(だいにっぽんじんぎかい)・神宮奉斎会(じんぐうほうさいわかい)の3団体が相寄り、新たに「神社本庁」を設けた。神社本庁伊勢の神宮を本宗(ほんそう)と仰ぎ、全国約8万社の神社からなる。神社本庁を頂点とする神社組織は、本庁の下に各都道府県の神社庁支部、神社が属する。

神社には社格という格がある。第一に、主な御祭神の格式である。高天原(たかまのはら)から来た天津神(あまつかみ)の社(やしろ)は、もともと地上を支配していた国津神(くにつかみ)の社より社格が高いとされた。これが上古の社格である。 第二が歴史の古さで、10世紀に編纂された法典、「延喜式」に掲載されている式内社であるかが目安となる。延喜式に10世紀の段階で朝廷が公認する国内の社を、祈年祭奉幣(きねんさいほうへい)を受けるべき神社2861社としてあげている。延喜式に記された神社は式内社と呼ばれ、書かれていない場合、式外社(しきげしゃ)という。式内社神祇官から奉幣(ほうべい)を受ける官幣社(かんぺいしゃ)、国司より奉幣を受ける国幣社(こくへいしゃ)に分かれ、それぞれ大社と小社がある。 明治になり延喜式に習い近代社格制度が定められた。官幣社国幣社は大中小の3段階に分かれ、別格官幣社が加えられ、その他は諸社とされた。明治の社格制度は終戦に伴う政教分離で終わり、げんざいでは本宗である伊勢神宮を除くと、すべての神社は平等となったが、神社本庁が包括する神社の中で特に有力な神社を別表神社(べっぴょうじんじゃ)と呼び、特に社格が高いものとして扱う。

お正月の終わりに松飾りや注連縄(しめなわ)を焼く左義長(さぎちょう)は、1月中旬、氏子の家から集めた正月の松飾りや注連縄を、村の境、広場、畑など一定の場所に積み上げて焼く。地域によって、どんど、どんど焼き、さいとう焼き、ぼっけんぎょう、三九郎焼きなどとも呼ばれる。神社で松焚祭(まつたきまつり)、注連焼祭(しめやきまつり)などの名称で神事として行ったり、鳥追いや御神火祭(ごじんかさい)、賽の神、道祖神の祭礼と一緒に行ったりする地域もある。

10月は神無月と呼ばれ、出雲大社に全国の神様が集まって1年のことを話し合うため、出雲以外には神様が居なくなる。一方、出雲では神在月(かみありづき)と呼ばれ、旧暦10月11日から17日までの7日間、全国の神様を迎える祭礼、「神在祭(かみありまつり)」が行われる。 この間、出雲大社は全国の神々の御旅所(おたびしょ)(本来の神社以外での滞在場所)となり、神々が会議をする間、土地の人々は謹慎斎戒(さいかい)、歌舞音曲を止め、物音も立てず忌(い)み籠(こ)もらなくてはならない。 ただし、神無月と神在月の説明は、中世以降に出雲大社への参詣礼拝を勧める遊行神官である御師(おし)が、全国に広めた説ともいわれている。

新嘗祭(にいなめさい)とは、毎年11月下旬、2回目の卯の日に、宮中および全国の神社で行われる収穫祭である。明治6年新暦採用の際に、11月23日と定められ、戦後は勤労感謝の日という祝日になった。天皇自ら、五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に捧げ、それを食してその年の収穫を感謝する宮中祭儀で、飛鳥時代皇極天皇の御代に始められたと伝えられている

神前結婚 神前に結婚の誓いをし、三々九度(さんさんくど)の盃を交わす現在の神前形式になったのは明治以降である まず、もともと古代日本では性におおらかで、「事実婚」や「通い婚」の風習が強かった。男女の間柄になった後、お互いが納得すると一旦婿入りし、その後、独立した。飛鳥時代に戸籍令が出て、結婚に関する法律が決まったが、平安時代まで通い婚が続き、3夜通って初めて披露の宴(うたげ)をした。武家の時代になり、家が重要になったため嫁入り婚儀に変わったが、家で祝言の宴を上げる自宅婚であった。 三々九度の盃は、天地人の三盃を交わすことで、互いの結びつきを固める日本古来の契約儀礼である。大陸由来とされ、室町時代には一般化しさまざまな慶事で行われていたが、現在では神前結婚、一部の神道祭祀、あるいは、祭りの出店を仕切るテキヤなど日本的な結社における結束行事でのみ残っている。 神前結婚が誕生したのは明治30年、東京日比谷大神宮で初めて高木兼寛(たかき かねひろ)男爵媒酌の神前結婚式が行われたのが始まりといわれる。明治33年5月、皇太子嘉仁(よしひと)親王(大正天皇)と公爵九条通孝(みちたか)の4女節子との結婚が神前式で行われて以来、その影響で一般にも神前結婚式が普及した。大正期には自宅結婚が減り神前式になったが、大正12年関東大震災で日比谷大神宮が焼失してしまった。そこで帝国ホテルでは、多賀神社の御祭神であるイザナギイザナミ2神の分霊を同ホテル内に安置した。この形式を「永島式」といい、現在の神前結婚のお手本となっている。一時、結婚式場が流行したが、現在ではホテルやレストランと契約している神社が多く、神社で結婚式を挙げる人が増えている。

アマテラス 太陽の女神アマテラス(天照大神天照大御神)は日本神道における最高位の太陽女神であり、皇祖神しでもある。イザナギが黄泉国から戻り、禊(みそぎ)をした際に左目から生まれた。右目からは月神ツクヨミ、鼻からはスサノオが生まれた。合わせて三貴子(みはしらのうずのみこ)と呼ばれる。「日本書紀」では禊からの誕生を語りつつ、異伝としてイザナギイザナミ2神か生んだ日神、あるいは、イザナギの白銅鏡(ますみのかがみ)から生じたとする説に言及している。 アマテラスは、葦原中国(あしはらのなかつくに)に孫のホノニニギが降臨したことから、皇祖神とされるが、近年の研究では、本来は男神高御産巣日神(たかみむすびのかみ)が実際の皇祖神であり、その巫女である「ヒルメ」(日の巫女)が神格化され、アマテラスになったともされる。太陽の巫女説の根拠として、アマテラス単独の説話が少なく、アマテラスか活躍する数少ない神話、天岩戸伝説と誓約(うけひ)伝説において、どちらもアマテラスの立ち位置が巫女のものであるからだ。天岩戸では、弟スサノオの乱暴に対してアマテラスが常に受動的で、岩戸に隠れてしまい、神々の宴によって太陽の光とともに戻ってうる。これは冬至祭で、太陽の死と復活を体現する憑依巫女のありかたに似ている。 誓約伝説は天岩戸伝説の前日譚である。スサノオは亡き母イザナミを慕って根の国に行く前に、姉に会おうと高天原に上がったが、アマテラスは弟が高天原を奪いに来たものと思い、男装の上、武装して待ち受けた。スサノオは自分の潔白を証明するために誓約をし、それぞれの持ち物から神を生む。男装し、武装した女神との誓約は、後の神功皇后と通じる巫女王の姿で、これにより、アマテラスを卑弥呼神功皇后と見る説がある。 また、アマテラスが女神であるのは、この神が成立したのが女帝である持統天皇の頃であるからともいわれている

図解巫女 (F-files) [ 朱鷺田祐介 ]

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